リアはそれからほどなくして目を覚ました。
体はだるく頭も重いが、体は動くようだった。
上半身だけ起こして、周囲を見回す。
そこは先ほどまでいた森ではなく、ひらけた草原だった。
周りには誰もいない。
リアの頬を爽やかな風が撫でていく。
まだ夜は明けていなかったが、月明かりのせいか辺りは明るかった。
リアはしばらくその体勢のまま、どこを見るとはなしに辺りを見ていた。
なぜ助かったのか、これからどうするのかなど考えるべきことは山積みだった。
だが、今は何も考えたくなかった。
思考も感情も全て手放して、疲れきった体と頭、そして心を癒やしたかった。
どのくらいの間、そうしていただろうか。
リアは視界の端の動くものに気づいた。
視線を向けるとそこには魔獣に襲われた際に、リアを守るようにして立っていたネズミがいた。
ネズミは、つぶらな瞳でリアをじっと見つめていた。
体毛は薄い茶色で模様はない。
よく聞こえそうな大きな耳をしており、その口はなぜかだらしなく開いていた。
前に見たときと同様、直立しており、前足は腹の前に添えている。
変なネズミだったが、リアは不思議と親近感を感じていた。
ともに死線を乗り越えた戦友同士のような感覚だ。
リアは両手で膝を抱えるような格好になると、ネズミに話しかけた。
話かけても答えがないのは分かっているが、誰でもいいから話を聞いて欲しかった。
「お前、生きてたんだね」
リアの言葉に、ネズミは小首をかしげるような仕草をとる。
当然のことながら返事はないが、その愛嬌ある姿に、リアは少しだけ癒やされた気がした。
「もしかして、お前が助けてくれたの?」
リアはそう言うと、ふふっと笑う。
なぜ助かったのか未だに判らないが、あの時のネズミの姿を思い出して、ふとそう思ったのだ。
(まあ、そんなわけないか)
目の前の小さなネズミが、あの恐ろしい魔獣を倒して、自分をここまで運んでくれたとでもいうのか。
自分の考えが余程おかしかったのか、リアは再び笑ったのだが……。
「そうだぞ」
リアの笑みが凍りつく。
そして、すぐに立ち上がり周囲を警戒する。
しかし、やはり周りには誰もいなかった。
目の前でリアを見上げているネズミを除いては。
「しゃべった!?」
「そりゃ、しゃべるだろ」
ネズミが答える。
しかも、さも話せて当然のような言い方だ。
リアは混乱していた。
話し相手が見つかったのは嬉しいがまさかネズミとは。
リアが驚きで固まっていると、ネズミの方から話しかけてきた。
「お前、名前は?」
「リア……」
リアは何とか返事をして、少し冷静になって考える。
そして、父親の持っていた文献に人間を動物や魔物に変化させる魔法のことが書かれていたことを思い出した。
かなり高位の魔法のためリアには使えないが、もし本当に人間が動物になったのであれば、普通に言葉を話せる可能性はあるのではないか。
リアはもう一度ネズミを見る。
表情らしいものが全くないため、何を考えているか判らないが、元人間と考えると少し気が楽になった。
そして、先ほどの冗談のようなリアの考えは的中しており、このネズミに命を救われたことはどうやら間違いないようだった。
「……助けてくれて、ありがとう……ございます」
「いいぞ、気にするな」
事も無げにネズミは答える。
本当に何も気にしていないようだ。
「名前はなんというの?……ですか?」
「無理にかしこまった言葉を使う必要ないぞ。子供らしくない」
「そう……ですか?」
「……まあいいか。オレの名前はネンコだと思う」
「だと思う?」
「実は……何も覚えていないんだな」
このネンコと名乗るネズミはどうやら記憶を無くしているらしかった。
かろうじて名前と思われる言葉を思い出したが、自分が何者かということは全く判らないということだ。
そして、リアを助けたのも偶然森を彷徨っていたら、あの現場に出くわしたからだという。
「あの時はどっちに加勢しようか悩んだな。結局、弱い方を助けることにした。まあ、あいつも弱かったけど」
表情のない顔で、さらりと言ってのけた。
リアは、まかり間違って自分が優位に立つような状況になっていたらと考え、身震いする。
そして、熟練の騎士を不意打ちとはいえ一撃で仕留め、村の皆があれほど恐れていた闇の魔獣を弱いと言い切るネンコにリアは戦慄を覚えた。
実際にネンコと魔獣の戦いを見てはいないので真偽のほどは明らかではないが、嘘を言っているようにも見えない。
見た目と言動に惑わされないようにする必要があるとリアは警戒を強める。
「それでお前、これからどうするんだ?」
「……」
ネンコにそう声をかけられ、リアは答えに詰まる。
ついさっきまで目を背けていた現実、そして未来が怒涛の如くリアの頭を駆け巡る。
リアは不安と絶望で、目の前が真っ暗になるのを感じた。
ネンコの手前のため歯を食いしばって耐えることができたが、一人だったら見苦しく泣き崩れていたかもしれない。
「その様子だと、行く当てはなさそうだな」
ネンコの言葉に父親や村のことを考えてしまい涙が出そうになるが、かろうじて耐えると、うなずく。
ネンコはふむとつぶやくと、何か考える素振りを見せる。
「お前に付いて行っていいか?」
リアはネンコの予想もしていなかった言葉に目を見開く。
だが、冷静に考えると断る理由もない。
今のリアは一人なのだ。
頼る宛もなく、途方に暮れていたところである。
例えこのネズミが何か悪意を持って近づいてきたとしても、今の状況より悪くなることはないように思われた。
リアは意を決して答える。
「よろしくお願いします」
「決まりだな」
そう答えるネンコの声は心なしかほっとしたようだった。
リアはこれまで真っ暗だった未来に一筋の光が差したような気がしていた。
それはか細く弱い光だったが、リアの行路を確実に照らしていた。
「じゃあ行くか」
「うん」
ネンコが先頭に立って歩き出す。
リアはこれからどこに行くのか、何をするのか全くわからなかったが、ネンコを信じて付いて行くことにした。
次第に空が白み、陽が昇り始めた。
風になびく草木が光を浴びて金色に輝く。
はるか遠くに見える山々も光に照らされて神々しく見える。
いつもと変わらぬ朝の景色なのだが、リアにとって一生忘れられないものとなった。
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