それから三日後の早朝、町の外れにある軍神ヨーダを祀った神殿にアルフォートの姿はあった。
ミスタリアの国教は再生の女神アルトラを崇めるアルトラ教であり、最近までは他教を信仰する者などほとんどいなかった。
しかし、不死王斃しの一人であり、軍神ヨーダの御使いである聖女ロエル・ホルスレイの活躍により、軍神を崇める者が現れはじめた。
そして、聖女の活躍と相まって日に日に信者は増えていった。
国も自国の危機を救った英雄と彼女が信望する神に敬意を表し、特例として国教以外の宗教を認め、大々的に布教支援を行う方針を示したのだ。
この神殿も大戦後に国の援助を受けて、建てられたものだ。
「それで、国を出るというの?」
アルフォートの対面に座る女性はそう問いかけた。
彼は声の主に視線を向ける。
全てに光を与えるような金色の髪に、吸い込まれそうな青い瞳。
そして、雪のように白い肌。
絶世の美女という言葉が馬鹿げて聞こえる程に美しい女性がそこにいた。
しかも、ただ美しいというだけではなく、一度面と向かえば膝をつき、頭を垂れてしまうような神々しさをも備えていた。
体つきは小柄で、とても軍神の御使いとは思えないほど華奢だ。
しかし、アルフォートは知っている。
ひとたび彼女が戦場に出れば、正に軍神となることを。
発する言葉の一言一言が味方に勇気と希望を授け、敵に恐怖と絶望を与える。
愛用する聖鎚を振るえば、如何なる者でも無傷では済まない。
百を超える不死者の軍団に一人立ち向かい、かすり傷一つ負わずに殲滅させたことはアルフォートの記憶に新しい。
踊るように鎚を振るう彼女は、ともすれば鬼神のようであったが、その美しさは女神のようでもあった。
その聖女が静かに隣に座っている。
しかし、その表情は険しかった。
「ちょっとアル? 聞いてるの?」
なかなか返事をしないアルフォートにしびれを切らしたのか、少し拗ねたようにロエルは言った。
「ああ、聞いてるよ」
「どうだか……」
疑うような目でアルフォートを見つめる。
「聞いてるさ。そして、別に国を出るわけじゃない」
「だって、軍は辞めるんでしょう?」
「ああ、軍は辞める。あの愚かな王の下では国を良くすることなどできないだろうからな」
「じゃあ、これからどうするの?」
「まずは件の赤目の魔女のことを調べてみるさ。王やあの魔術師の話の真偽を明らかにしたい。その結果次第では……」
アルフォートは、少し話すのをためらいながらも言葉を続ける。
「俺は王を許さないだろうな」
アルフォートの言葉に怒気が混じる。
普段は冷静な彼がここまで感情を露わにすることは珍しい。
その分、アルフォートが本気であることを感じさせた。
「……」
ロエルはじっとアルフォートを見つめていたが、諦めたようにため息をつく。
ロエルは彼を止めるつもりだった。
アルフォートが軍を辞めることは彼が来る前から知っていた。
国から通達があったのだ。
アルフォートが国を裏切ったと。
謀反を起こしたとまで言っていた。
話を聞いた時、ロエルはまさかと思いはしたが、よくよく考えれば納得できる。
彼が仕えていたのはあくまで前王であり、国ではない。
そのことは以前からアルフォートに聞いていた。
前王が亡くなった後も、その遺志を継ぎ、前王の作り上げたこの国を発展させることに尽力してきた。
全ては前王のためだ。
しかし、動機はともあれ、彼はこの国に必要である。
国が栄えれば、民は少なからず幸福を得るだろう。
いや、例え国が栄えなくとも、アルフォートのような人間が国の中心にいれば、救われる民は多いだろう。
だからこそ、アルフォートを引き止めたかった。
しかし、実直で強い信念を持つ彼を止められる者などいないのだろう。
それに、話を聞く限りでは、この国を捨てるという訳でもないようだ。
「そう……」
ロエルはもう一度ため息を吐き、つぶやく。
そして、すぐに決意したようにアルフォートを見据えた。
「私も行く」
突然のことに、アルフォートは困惑したが、すぐに冷静を取り戻す。
「駄目だ」
「どうして?」
ロエルは小首をかしげる。
「君は、この神殿の大神官だぞ? 君がいなくなったら誰がここの面倒を見るんだ?」
「大丈夫よ。大神官なんて飾りみたいなものだし、何かあったら神官たちが対応してくれるわ」
「そんな簡単な話じゃないだろ」
「アルだって同じことしてるじゃない」
痛いところを突かれたアルフォートはむぅと唸ると、腕を組んで押し黙る。
この展開は予想はしていた。
ロエルはこう見えて子供のようなところがある。
アルフォートが彼女と出会った時はまだ十四歳の年端もいかぬ少女だった。
当時の彼女の奔放さに、周囲が振り回されることが多かった。
特に比較的歳の近かったアルフォートには、よく懐いており、一見するとわがままとも取れるようなこともよく言っていた。
そのためか、大人になった今でもアルフォートに対してだけは、子供のような言動が目立つのだ。
もちろん、アルフォートもそのことについては悪い気はしていない。
むしろ、素直で可愛らしい彼女の言動に好感すら抱く。
しかし、今回ばかりは話が違う。
アルフォートは裏切り者として扱われているのだ。
まだ追手など差し向けられているような感じではないが、それも時間の問題だろう。
そんなことに自分が慕う人たちを付き合わせるわけにはいかない。
軍を出る際にも、部下たちによく言い聞かせてきた。
王に逆らうなと。
自分を討ち取れとの命令が出たら、それに従うようにと。
処分を受けるのは自分だけで十分だった。
(我ながら自分勝手な考えだ……ロエルに言えた資格はないな)
暫く考えた後、アルフォートは自嘲する。
どう言い繕おうと結局は自分のわがままでしかない。
しかし、この考えを曲げるわけにはいかなかった。
特に目の前の女性に対しては。
「やっぱり駄目だ。君はここに残るんだ」
「……」
ロエルは思う。
この人は簡単に自分の信念を曲げる人ではない。
そこのところが、真の騎士たる所以なのだろう。
しかし、そろそろ私の気持ちにも気づいてほしいものだ。
この鈍感で愚直な青年の向こう脛を蹴飛ばしたくなる衝動に駆られながら、ロエルは立ち上がる。
彼女は今日何度目になるのか判らないため息をつきながら、アルフォートに近づく。
そして、その前に静かに跪き、手と手を重ねて、自分の愛する者を見つめる。
「分かったよ……貴方のこれからの戦いに軍神の加護のあらんことを」
大神官らしい言葉を告げると、アルフォートの手に頬を寄せる。
「ああ、行ってくる。終わったら会いに来るよ」
アルフォートは、心底ほっとしたような顔をして、無意識に彼女の髪を撫でながら答えた。
それから程なくして、アルフォートは馬にまたがりミスタリアの城下町からレナスへ向けて旅立った。
しかし、その行く先にはこれからの苦難を暗示するかのように暗雲が立ち込めており、希望を打ち消すかのように陽の光を遮っていた。
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