第3話 謎の強者

リアが死を覚悟してから、どれほどの時間が経っただろう。
彼女は暗闇の中にいた。

(私……死んじゃったんだ)

漠然とそう理解する。
体が宙に浮いたような、時間という概念から外れたような不思議な感覚を味わっていた。
父親との約束は守ることができなかったが、痛みを感じなかったことだけは幸いか。

(これからどうなるんだろう)

死後の世界の話など噂話程度の知識しかないリアにとって、この先に起こることなど想像もつかなかった。

(お父さんに会えるかな……)

人は死ぬと天に召されると言われている。
死者の集う世界があるのなら、先に死んでしまった父親に会えるのではないか。
リアは、心を支配しようとする不安や絶望を振り払うように、希望に満ちた考えを思い描いた。

「ぎぃやあああああああ!!」

突然、身の毛もよだつような絶叫が辺りをつんざいた。
それによりリアの意識は現実に引き戻される。
目を開くと自分の腕が見えた。
逃げる途中に草木に引っ掛けて切ったのか、かすり傷だらけだが、折れたり潰れたりしているわけではない。
恐る恐る手を動かしてみる。問題なく動く。

―――生きてる!!

そう実感するやリアは、顔を上げ状況を確認する。
さっきまでいたネズミはおらず、目の前には相変わらず前足を振り上げたまま格好の魔獣がいた。
しかし、何かおかしい。
人を見下したような笑みは消え、代わりに驚愕の表情を浮かべている。
額には大量の汗が滲んでおり、がちがちと歯を鳴らしていた。
振り上げた前足は途中からおかしな方向に曲がっており、更に曲がった部分から白い骨が突き出している。
そして、リアは自分の体に纏わり付いていた黒い鎖がなくなっていることに気づいた。
何が起こったのか全く判らないが、生きる機会が与えられたのは判る。
リアは俊敏な動きで後方に飛び退き、魔獣との距離を取る。
そして、両手両足を地面に付け、隙を伺う猫のようにゆっくりと退路を確認しながら後ずさった。
少しでも魔獣が隙を見せれば、一目散に逃げるつもりだった。

「貴様、何をした!?」

魔獣は生まれて初めて味わうであろう苦痛をこらえながら、リアに問う。
魔獣も何が起こっているのか理解できていない様子だった。
この他愛もない旨そうな小娘をすり潰すために腕を振り下ろしたはずだった。
本来であれば、リアの首から上は原型を留めてなかっただろう。
だが、痛みを与えられたのは他ならぬ魔獣の方だった。

「何をした!?」

再度、魔獣は問う。
リアは、魔獣が得体のしれないものに対する恐怖を感じていることを見逃さなかった。
そして、そこに逃げる機会を見いだせると考えた。
リアは魔獣の問いには答えず、精一杯の勇気を振り絞って不敵な笑みを浮かべる。
魔獣も逃げようとするリアを捕らえようと、折れた足を引きずりながら距離を詰めるが、いきなり飛びかかるようなことはしなかった。
いや、できなかったのだろう。

緊迫した時が流れる。
その静寂を破ったのは魔獣の方だった。
魔獣には直接触れなくとも、相手を死に至らしめる手段などいくらでもあるのだ。
突然のことで混乱したが、冷静に考える。
この娘に魔法が通じることは確認済みである。
ならば……。

『闇よ。この者の命を奪い、我に捧げよ』

先ほどとは違う魔法を紡ぐ。
魔獣の得意とする闇の魔法である。
この魔法の触媒は闇であるため、陽の光のない夜に触媒に困ることはない。
魔獣が夜を好み、陽の光の届きづらい森に居座るのにはこういう理由があった。

魔法の完成と同時に、周囲の闇が触手のようにリアに向かって伸びてゆく。
避けることは不可能だった。
しかし、魔法で攻撃される可能性を視野に入れていたリアは、自分の中の魔力を集め抵抗する準備をしていた。
リアに触れようとしていた触手の一本が霧散する。
魔獣は魔法を抵抗されたことに驚きの表情を浮かべるが、更に魔力を注ぎ、触手の数を増していく。
何本もの触手が伸びては、リアの前でかき消える。
しかし、何本目の触手を乗り切った頃か、この勝負にも終わりが見えてきた。
リアが万全の状態であれば、この魔法を完全に防ぎきり、再度逃げる機会を勝ち得たかもしれない。
しかし、リアは疲弊し過ぎていた。
遂に闇の触手はリアを捕らえ、腕に巻き付く。
その瞬間、リアの体から力が抜ける。
命を削り取られるような感覚がリアを襲い、たまらず膝をつく。
魔獣はその姿を満足気に眺めると、更に魔力を強め、リアの生命力を奪い続ける。
リアは悲鳴を上げることもできず、成すすべなく地面に突っ伏した。
先ほどの死を勘違いした時の妄想とは違い、今度は本格的に死を意識する。

(やっぱりダメだった……)

朦朧とする意識の中で、リアは今度こそ父親に会えるよう祈るのだった。

「ふむ、ようやくか」

魔獣に笑みが戻る。
途中、予想外のことが起きたが、無事に食事にありつけそうだった
魔獣はリアが死に至るまで魔法を続けようとした。
油断により同じ鉄を踏むことを恐れたからである。
そう、魔獣は油断などしていなかった。
勘違いしていただけだった。
自分に分不相応な痛みを与えたものが、この幼い少女だと。
その勘違いこそが、魔獣にとって人生二度目となる、それも先ほどのものとは比べ物にならないほどの痛みを受ける結果となる。

突然のことだった。
魔獣がリアの命を全て奪わんと魔力を込めた瞬間、炸裂音とともに、その下顎が大きく右にずれた。
しかも、それだけでは済まず、魔獣の巨体は横倒しになりながら宙に浮き、その後地面に叩きつけられた。

(何だ!? 何なのだ!?)

強烈な一撃を顎に受けて魔獣は起き上がることができず、足をばたつかせる。

(痛い!! 痛い痛い!!)

顎が砕けているため、言葉にならない。
口から血の混じった唾液を垂らし、目から涙をぼろぼろと流しながらかろうじて首を少女の方に向ける。
少女は突っ伏したまま、ぴくりとも動いていない。
止めを刺す前に魔法が中断されたため、死んではいないようだが、ここまでの反撃ができるほどの力があるとも思えなかった。
今度こそ完全に魔獣の心は恐怖で満たされた。
もはや目の前の少女を喰らおうという気持ちはない。

(逃げなければ、殺される!)

魔獣はなんとかこの場から逃げようと身をよじった。
この森の絶対的な強者とは思えぬ惨めな姿だったが、もはやなりふりかまっていられなかった。

その時、少女の体が地面から少し離れた。
何かに下から持ち上げられたようにも見えた。
そして、少女は見えない力に引きずられるように、魔獣から遠ざかっていった。
魔獣は呆然とその様子を眺めていたが、少女の姿が完全に見えなくなると、安心したのかすぐに意識を失った。

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