第5話 真の騎士

荒々しい足音が辺りに響く。

ここはミスタリア王国の王城シャイニング・ロード。
百年以上の間、王国を守り続けた堅城である。
城の周りは高い壁で囲まれており、所々に開いた穴からは大型の弩弓が不遜な侵入者を狙っている。
また、主塔を囲むように4つの塔が建っており、各塔には選りすぐりの騎士や魔術師が常駐していた。
外から見ればさながら要塞のようなこの城だが、城内は高価な調度品や絵画が飾られており、優雅さを感じさせる造りとなっていた。

その王城の奥、謁見の間に向かうひとりの騎士。
炎のように赤い鎧に身を包み、肩からは純白のマントをなびかせている。
身に着けている装備はどれを取っても立派な物で、その辺の者とは一線を画している。
兜は被っておらず、見事なブロンドの髪と目鼻立ちの整った端正な顔を晒していた。
普段であれば周りの女性は色めき立ち、彼を取り囲むところであろう。
しかし、今の彼はただならぬ雰囲気を纏っており、誰もが目を合わせることすらできず、そそくさと道を開けるのだった。

騎士は謁見の間に辿り着くと、扉の脇に控えている衛兵に許可を取ることなく両開きの重い扉を無造作に開けた。
突然のことに呆気にとられる衛兵を無視して、玉座に向かい一直線に進んでいく。

謁見の間には二人の男が居た。
ひとりは玉座の右に影のように立つ痩せこけた男。
ゆったりとした黒い衣を身に纏っており、右手には青い宝石をあしらった杖を握っている。
青白い肌、窪んだ目、骨と皮ばかりの体。ともすれば生ける死者を思わせる。
しかし、見る者が見ればその圧倒的な魔力を感じることができるだろう。
彼は魔術師だった。しかも、ただの魔術師ではなくこの国の主たる王の側で、その力を行使されることを許された魔術師。宮廷魔術師の筆頭である。

そして、もうひとりは玉座に座するかなり太った男。
大きく膨らみ弛んだ腹に、脂ぎった顔。
顎には首が見えない程に肉が付いている。
現ミスタリア王国の王、ライアス・ダム・ミスタリアである。
その醜い容貌からは王としての威厳は微塵も感じられないが、金剛石のちりばめられた純金の冠、
銀で刺繍された白い上衣などのおかげで辛うじて威厳を保っていた。

その二人に騎士が歩み寄る。

「おお、我が王国の誇る最高の騎士、不死王斃しアルフォートよ」

ライアスがその姿を見止めて大仰な口調で声を掛ける。
魔術師は表情を変えず軽く一礼する。

騎士はそんな二人の挨拶を無視して要件を切り出した。

「今回のレナス村襲撃について詳しい話を伺いたい」

国王の前で膝を突かず、あまつさえ頭も下げない。
本来であればその態度を不遜と捉えられ処罰されてもおかしくはないのだが、この騎士は全く意に介した様子はない。
当の王でさえ咎めるどころか溜息をつき首を横に振る。

不死王斃しアルフォート。
この国で知らぬ者はいない救国の英雄である。

七年前、ミスタリア王国は未曾有の危機に瀕した。
王国の僻地に突如として現れたザムートと名乗る不死の王が、不死の軍勢を率いて王都に向けて侵攻してきたのだ。
ザムートは国内の村や町を襲い、住民たちを物言わぬ屍に変えた。
更に殺した人間を禁忌とされる呪われし魔法を用いて復活させ、支配することで自身の軍の強化を図った。

ザムートの軍が通った後には死の嵐が吹き荒れ、人間はもちろん、動物、植物、生きとし生けるもの全ての生命が刈り取られていった。
不死王の侵攻はそれほどまでに凄まじく、ミスタリア王国は滅亡を待つのみと思われた。

しかし、人々は諦めなかった。武器を手に取り、不死の軍勢に果敢に立ち向かった。
また、国外からも名のある戦士、英雄たちが他国の危機を救わんと駆け付けた。
人々は国の至る所で勝利を収め、ついにはザムートを居城である腐肉の洞窟まで追い詰めた。
そして、不死王の侵攻から二年後、五人の英雄によってその暴虐も終わりを告げる。

一人目は王。ミスタリア王国を治め、賢王として名高いウォルフ・ダム・ミスタリア。
二人目は騎士。最高の剣の技と忠誠心を持つ真の騎士、アルフォート・ゼファー。
三人目は神官。軍神ヨーダに仕え、若くして最高司祭となった聖女、ロエル・ホルスレイ。
四人目は歌い手。詩により人に勇気と希望を与える勝利の導き手、マース。
五人目は魔術師。千の魔法を操る流浪の賢者、クエンス・ブランド。

彼らは腐肉の洞窟に挑み、見事ザムートを打ち取ることに成功した。
しかし、その代償は大きく、ザムートが死の間際に放った呪いにより、ミスタリア国王は命を落とすことになった。

王には後継を約束された優秀な息子がいたが、こちらもこの戦いで戦死している。
そのため、現在、玉座についているのは、お世辞にも有能とは言えない第二王子だった男だ。
そしてこの男こそ、現在のミスタリアを苦しめている元凶となっているのだ。
王になったばかりの頃は国を挙げての復興を行っており、民や諸国から信頼の厚いアルフォートを始めとした四人の英雄が率先して動いていたため、この男は特に目立った動きは見せなかった。
しかし、英雄たちが役目を終え、それぞれ道を歩み出すと、ここぞとばかりに動き出した。
王は前王が敷いた善政を自分の都合の良いように改定し、民を苦しめる悪法をいくつも作った。
もちろん王を諌めようとする臣下もいたが、そうした者は逆賊として扱われ当人は勿論、その家族、親類に至るまで刑に処された。
アルフォートもそのような王を快く思っていなかったが、いずれは変わってくれることを信じて時に忠告し、時に諌めながら従ってきた。

「なんだ、そのことか」

「なんだとはどういうことでしょう」

王の説明するのも面倒だという態度に、アルフォートは怒りを覚える。

「村ひとつを壊滅させたのです。相応の理由がおありなのでしょうな!?」

言葉とともにアルフォートから凄まじい圧力が発せられる。
そして、それに呼応するように腰に帯びた剣の鞘から強い熱気が漏れる。

魔剣『炎の遺志』

強力な魔力を帯びたその剣は、刀身に炎を纏い、斬り伏せたものを燃やし尽くす。
先の大戦で、ザムート軍の将軍を一騎打ちの末に灰塵に帰したことは、今でも吟遊詩人に謳われる。

「り、理由は当然ある! バドクゥ!」

かつての英雄と凄まじい力を秘めた魔剣に怒りの矛先を向けられた王は、さすがに狼狽し、隣で死霊のように控える魔術師に助けを求める。
王の言葉を受け、それまで沈黙を守っていた男が口を開いた。

「あの村の民は危険なのです」

「危険?」

アルフォートは魔術師に鋭い視線を向ける。

「左様、あの村の民はこの国、いえ、世界を滅ぼす危険性がありました」

バドクゥは、アルフォートの鋭い視線を真っ向から受けながら淡々と話を続ける。
アルフォートも事の真偽を見極めるため、一言一句聞き逃すまいと耳を傾ける。

「かつて強大な魔力を持ち、この世界の破滅を企てた魔女がおりました」

昔話でもするような口調で、バドクゥは話を進める。
魔術師の話によると、今から千年程前に圧倒的な力で世界各地の国という国を攻め滅ぼした魔女がいたと言う。
『赤目』と呼ばれたその魔女は、ゴブリンやコボルトなどの低級な魔物から、果ては精霊や竜、神と言われる存在までも思うままに従え、破壊の限りを尽くした。
もちろん当時の人々もただ滅ぼされるのを指を加えて見ていたわけではない。
国家、種族を越えて団結し、決起し、この魔女の暴虐を阻止せんと必死の抵抗を試みた。
しかし、遂にはその侵攻を止めることはできなかったと言う。

「それで、世界は滅びたとでも言うのか?」

腕を組んでバドクゥの話を静かに聞いていたアルフォートだったが、我慢できないというように口を開く。
その問に対して、バドクゥは首を横に振った。

「それは、判りません」

「判らない?」

アルフォートはバドクゥの不可解な回答に思わず聞き返す。

「はい、正確に申しますと世界が滅んだという記録も赤目の魔女が滅びたという記録も残っていないのです」

アルフォートが自分の意図した反応を示したことに気を良くしたのか、口の端をつり上げて薄く笑う。
その姿に不快な感情を抱きつつも、アルフォートは問う。

「それで、その話が今回の襲撃とどう関係するんだ?」

「レナス村にはその赤目の魔女の末裔がいる可能性があったのです。そして、村人たちはその事を隠していた」

そう答えるとバドクゥは役目は終わりとばかりに一歩後ろに下がる。

「証拠は? そのことを証明する証拠はあるのか?」

「実際に見た者がおるのだ」

アルフォートが冷静になったと見て取った王は、醜く太った腹を揺らしながら、得意気に答える。

「ひと月程前、旅をしていた者がレナス村を訪れた折、村で赤い目をした女を見たという話なのだ。おそらくバドクゥの言う赤目の魔女の末裔と考えて間違いなかろう」

「おそらく? その者の話を聞いた後、調査を十分に行ったのですか?」

「調査? なぜそんなことをする必要がある?」

王は心底理解できないという顔をした。

「村人たちに刃を向けるのです。誤りがあっては許されないでしょう」

アルフォートは、呆けたような顔を見せる王に対して、念を押すように更に言葉を続ける。

「間違いだったでは済まされません」

自分が責められていることに気が付いた王は、みるみる顔を紅潮させる。

「何を言うか! 危険性が少しでもあれば排除するのが国のためであろう!」

「確かに国の危機となる要素は排除するのが正しい判断でしょう。しかし、今回の件については明らかに調査不足! 何処の馬の骨とも知れぬ旅人の言葉を真に受けて、ろくな調査も行わず、村人を虐殺するなど言語道断! 他国に知れれば愚王として蔑まれましょう!」

アルフォートから再び凄まじい圧力が発せられる。
しかし、今回は王の歪んだ自尊心がそれに勝った。

「貴様……! 言わせておけば!」

王はアルフォートを指差し、玉座から勢い良く立ち上がる。

「そこまで疑うのならば貴様、自分の目で真相を確かめてくるとよかろう!」

突き出した指を震わせ、興奮のためか口の端から泡を吹きながら王は叫ぶ。

「おお、そうじゃ! ついでに貴様の将軍職を解いてやる! もう二度とここには戻ってくる必要はない! 気が済むまで赤目のことを調べてくるがよいわ!」

王は、いい考えだと言わんばかりに何度も手を叩き、してやったと言わんばかりの笑みを浮かべる。
一方のアルフォートは怒りに我を忘れ、興奮する王を冷めた目で眺めていた。

(なんと短絡的で浅はかな考えだ)

今、アルフォートが居なくなれば軍の統制は乱れ、暫くはその力を十分に発揮することはできないだろう。
その隙を見計らって他国が侵略を開始する可能性もある。
もちろんアルフォートは、自分の部下たちを如何なる状況においても任務を遂行するよう鍛え上げてきた。
しかし、不死王斃しの英雄であるアルフォートの影響力は大きく、兵の士気が下がることは目に見えて明らかだ。
特にこの英雄に心酔する騎士たちは、軍を抜ける可能性もあるだろう。

アルフォートは何か言ってやろうかと口を開きかけたが、すぐに考えを改める。
そもそもアルフォートは今やこの国に残る理由はないのだ。
アルフォートが剣を捧げ、命を捧げていたのは前王であるウォルフ・ダム・ミスタリアなのだから。
前王に受けた多大な恩を返すために、この愚かなライアスに仕え、ミスタリアのために尽力してきた。しかし、それもそろそろ潮時なのだろう。

「分かった」

アルフォートはそう告げる。
あまりに簡単に承諾したためか、ライアスのみならず普段であれば何事にも動じないバドクゥも大きく目を見開く。
硬直している二人に対し、アルフォートは決別の言葉を投げかける。

「分かったと言ったのだ。その命令に従い、軍を辞め、赤目の魔女とやらのことを調べることとしよう」

「この恩知らずが!!」

ようやく状況が理解できたのか、ライアスはアルフォートに罵りの言葉を返す。

「貴様から受けた恩などない。それに命令に従うのだ。何が気に入らない?」

アルフォートは皮肉を込めて言い放つと、玉座に背を向ける。
彼の羽織る純白の外套が後を追うようにたなびいた。
そして、王の罵声と怒号を背中に受けながら、振り返ることなく謁見の間を後にした。

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